先日、ある番組で戦争に関する特集を観ました。第二次世界大戦当時、B29に搭乗して日本中を爆撃しては太平洋の島に帰還して心身を休めてまた日本に爆撃するために飛び立つことを繰り返していた20代青年の言葉が紹介されていました。 その島は日本が占領していたところを奪還してB29の整備や発着の拠点として使っていたので、残された日本人のこどもたちのための小学校があったそうです。アメリカ人の兵隊は心身をいやすための日課としてその小学校でこどもたちと触れ合っていたそうです。日本の空から無数の爆弾を落としている雲の下には多くのこどもたちがいるのに躊躇なくスイッチを押す自分、そして帰ってから目の前のこどもを可愛がる自分…手記には強い矛盾を感じながらもその違いは「実際に触れあってつながりを感じられているかどうか」だと書かれていたそうです。
人は他者とつながりを感じることによって目の前の人を慮り、尊重することができるけれど、つながりを感じられない時には集団心理の中で思考停止となり、平気で爆弾を落とせてしまう(=それがどういうことにつながるのか考えなくなる)のだと人間の思考について考えさせられました。
人間は可能性と不可能性の両面を持ち合わせていると思っていますが、人とのつながりを色んな形で保ちながら可能性がある方に進んでいきたいと思います。
